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知ってほしいあのブランドの歴史!! Supremeの歴史とは!!

Supremeはニューヨークのマンハッタンに店を構えるジェームス・ジョビアの手によって1994年に創設されました。

彼は独自のスケートシーンの文化と自分が良いと思うショップが当時見当たらないと考えていたことから、自らがショップを立ち上げることになります。

 

Supremeは元はスケーターブランドなのです。

ただし、暗い雰囲気で雑多な印象がある他のショップとは一線を画しており、高級感あふれる高い天井と一面真っ白な壁の内装が施されていました。

 

オープン当初は様々なブランドを取り扱っていましたが、その中にあったのがジェームス・ジョビアの手がけるSupremeのオリジナルTシャツです。

反響が良かったため徐々にTシャツ以外のものも増やしていきました。

シンプルで誰も思いつかない発想を大切にし、自分が着たいと思うものしか作らないと豪語する彼の信念は多く人に受け入れられるようになります。

 

知名度を一気に押し上げ転機となったのが、ケイト・モスを起用してカルバン・クラインの広告に自らのロゴを貼り付けるという大胆なプロモーションです。

この派手なパフォーマンスは直後に抗議を受けることになります。

 

しかし、その後もステッカーをニューヨークの街中に貼り付けたり、ルイ・ヴィトンや各団体のデザインを模したりとあらゆる抗議を受けながらもSupremeの躍進は止まりません。

どこか社会へのアンチテーゼを含む価値観が、ストリートの若者にマッチしたのです。

 

赤い背景に白いフォントがあしらわれたロゴは、アメリカの女性アーティストバーバラ・クルーガーの有名な作品をパロディーとして用いたものです。

両者のフォントは共にFuturaを使用しています。

 

このBOXロゴはTシャツから始まりパーカーやリュック、帽子などにも起用され、ブランドを象徴するものとなっています。

ただ、デザインは年代ごとに微妙に変更が加えられ、生産拠点も異なるためプレミア価格で取り引きされることもあるほどです。

 

ニューヨークで名をはせたSupremeですが、日本では1998年6月に第一号店として代官山にオープンします。

それまでは渋谷や原宿の各セレクトショップで取り扱われていましたが、洗濯するとすぐにダメになるプリント、デザインが飲料メーカーに類似している、読み方が分からないなどすぐに受け入れられていたわけではありません。

 

その後は正規代理店を迎えることで本格的な販売が開始され、PR活動が積極的に行われるようになります。

当時絶大な支持を得ていた裏原系ブランドのディレクターに着てもらったり、雑誌で毎号特集を組んだりするなど現在の日本での地位を確立することになります。

知ってほしいあのブランドの歴史!! ディオールの歴史とは!!

ファッション分野だけでなく化粧品分野でも高い人気を集めるディオール。

 

そのディオールの歴史はフランス北部のノルマンディー地方にある港町でクリスチャン・ディオールが生まれることで始まります。

彼はとても裕福な家庭に育ち、伯父は元大臣であり父は肥料事業で成功を収めた実業家でした。

 

両親は厳格な教育を彼に施し、将来は外交官になるよう願っていました。

しかし、クリスチャン・ディオールは好奇心旺盛な性格で、政治や外交は興味を示さずにアートやデッサンに明け暮れます。

 

美術学校を希望していた彼でしたが両親は猛反対。

政治専門学校に進学するも、芸術への情熱は捨てきれずに過ごします。

将来的にも自ら芸術活動を望んでいましたが、両親からは許しをもらえそうにありません。

 

そこで、芸術家をマネジメントする仕事を考え間接的にその道に携わろうと考えます。

なんとか両親の了承を得たクリスチャン・ディオールは画廊をオープンすることになります。

しかし、世界恐慌の煽りを受けて画廊をたたまざるをえない状況となり続いた期間はわずか4年です。

 

また父親も世界恐慌で全財産を失っていたため取り付く島もありません。

画廊経営で破産し、家も差し押さえられた彼はホームレス生活を余儀なくされます。

裕福な家庭で育てられた彼にとっては大きな試練となりますが、人柄の良さと友人に恵まれていたため、生き延びることができました。

 

ところが、彼に結核というさらなる不幸が起こり療養生活が始まります。

隔離された場所で1年間過ごす中で将来を見つめ直し、完治後は決意も新たにパリに戻ります。

 

戻った後のクリスチャン・ディオールは一人のデッサン画家をきっかけに、彼自身もデッサン画家として成功を収めます。

そんな中、彼のデッサン画に感銘を受けた顧客が服飾デザイナーとして依頼を持ちかけることに。

 

将来への道が切り開けてきたかに思えた1939年9月、戦争が勃発し徴兵され兵士としてしばらくの間を過ごします。

1941年にパリに戻った頃には、既に別のデザイナーが彼のポストとして雇われていました。

その後はアシスタントとして携わることになりますが、彼の心の中には独立への気持ちが徐々に高まっていきます。

 

後に彼の思いは、フランスの大富豪「マルセル・ブラック」の出資によって現実となることに。1946年12月16日、その日こそメゾン「クリスチャン・ディオール」が誕生した日です。

 

オープン後から2ヶ月、初めてのコレクションが発表され、世界に一大旋風を巻き起こします。

ニュー・ルックと呼ばれるスタイルはフランスのモードを取り戻し、特にアメリカで絶賛され、さらなる成功を収めることになります。

知ってほしいあのブランドの歴史!! BVLGARIの歴史とは!!

BVLGARIは1884年に創業し、100年以上の歴史を持っている宝飾ブランドです。

宝飾ブランドの代表とも言えるフランスのカルティエ、アメリカのティファニー、イタリアのBVLGARIは世界中で愛されています。

 

BVLGARIではジュエリーだけではなく、高級腕時計ブランドとしても一流で、香水やレザーアイテムなどラインナップも広く展開しているブランド。

イタリア創業の頃から発展を遂げ、今ではホテル事業への展開やチョコレートの販売にまで幅を広げました。

今回は、ハイブランドとして確立されているBVLGARIの歴史について迫っていきます。

 

BVLGARI(ブルガリ)はソティリオ・ブルガリが創業しました。

現在も人気のあるブランドの多くが創業者の名前を由来に付けられていることが多く、BVLGARIも例外ではありません。

 

ソティリオ・ブルガリは1857年にギリシャのエピルスで生まれました。

このエピルスという街は古代ローマ時代から銀細工が盛んな地域で、ソティリオの生家も銀細工師を代々行ってきたのです。

このような環境で育った為に小さな頃から才能を発揮し、将来を嘱望されてきました。

 

ギリシャでバチカン戦争が勃発したことを転機にイタリアへ移住。

イタリアに移ってからも銀細工の製作を続けていき、ソティリオが作ったシルバーオーナメントが評価され、1884年にローマにあるヴィア・システィーナで最初の店を出しました。

 

ソティリオの作るアクセサリーはエピルスに伝わる伝統的なギリシャ建築の手法がベースですが、それに先進的な技術を取り入れ独自のスタイルを確立させます。

革新的でモダンを感じさせるイタリアンジュエリーの土台となるものを作りだしました。

 

1932年に死去するまで2人の息子に宝石やジュエリー製作のノウハウを学ばせていきます。

2人の息子たちはそれと同時にビジネスに関しても学び、才能を発揮。

 

彼自身もビジネスに関しては抜きんでており、富裕層のリゾート地を利用し店舗を開くなどマネジメントでも長けていたと言われています。

死去した後も2人の息子たちの活躍のお陰で現在もBVLGARIはハイブランドの一つとして存在し続けているのです。

 

東洋文化に影響を受けていることもあり、カラーストーン使いが魅力的で色のついた石と言えばBVLGARIと言われるぐらいになりました。

ルネサンス様式も取り入れることで流行に流されることなく独自のブルガリ様式を確立。

シンプルだけど華やかさのあるBVLGARI独自のブランドが出来上がっていき、現在も尚躍進を続けています。

知ってほしいあのブランドの歴史!! カルティエの歴史とは!!

世の中には名立たるブランドが数え切れないほど存在していますが、その輝かしい功績の陰には様々な歴史が隠されています。

フランスで生まれた著名ブランドの一つであるカルティエもまた例外ではなく、その歩みを知ることでより深く愛着を持つことができるでしょう。

 

カルティエの始まりは1847年、パリで革命が起こる以前の時代にまで遡ります。

宝石職人として修行を積んでいたルイ=フランソワ・カルティエが師匠から工房を受け継いだことがこのブランドの第一歩です。

 

今となっては高級時計やバッグなどでもその名を知られるカルティエですが、やはり根本を成すのはジュエリーだという他ありません。

数多くの現代女性を魅了する宝石の美しさは創業時から変わらず存在し、フランスはもちろんのことヨーロッパ中の王侯貴族の心を奪い幅広く愛されていました。

 

カルティエの歴史を語る上で避けては通れない出来事として、ガーランドスタイルの誕生が挙げられます。

当時のヨーロッパではアール・ヌーヴォー様式が流行し新しい感性で芸術を追い求めようとする動きが活発だったものの、カルティエはその流れにあえて逆らいかつてのスタイルを再解釈することに苦心しました。

その結果完成したのがガーランドスタイルであり、繊細で革新的な美は絶大な支持を受け世界へ広まっていくことになります。

 

その後もカルティエは研究を続け、インドからの影響などを受けながら他にはないジュエリーの輝きを確立することに成功しました。

ポイントとなるのはカルティエの歴史には一片の曇りもない点です。

 

世代交代によって価値を損なってしまうブランドも少なくないですが、1874年頃に創業者の息子が経営するようになった後もカルティエのポジションは失われず常に第一線で活躍しているのは言うまでもありません。

その評価は各地の王室から御用達ブランドとして重宝された点からも窺うことができるだけでなく、抜きん出た存在感から宝石商の王とも呼ばれることがあります。

 

ジュエリー業界にて圧倒的な実力を発揮するカルティエですが、腕時計をも手がけるようになったのは経営が3代目に引き継がれた頃の話です。

実用的でありながら洗練された美しさも取り入れたデザインは瞬く間に人気となり、腕時計の歴史に大きな影響を与えたと考えられています。

宝石を作ることで培われた技術力と矜持が100年以上続く腕時計へのこだわりに繋がったと言えるでしょう。

 

現在でも多くの新作を発表し人々の心を鷲掴みにするカルティエが今後もどのような進歩を遂げるのか世界中の期待が集まります。

知ってほしいあのブランドの歴史!! ルイ・ヴィトンの歴史とは!!

ルイ・ヴィトンは1821年と今から200年以上前に創業した人気のブランドですが、フランスのジュラ地方アンシェイ村で12人兄弟の真ん中として生まれたのが創業者のルイです。

 

ルイは14歳から職人としての道を歩み始めていて、その理由が親との折り合いが悪くて家を飛び出したことがきっかけでした。家を飛び出したルイは都パリに向かうのですが、その道中に旅行鞄における様々なアイデアが思い浮かびました。

そのルイの感性は後々のルイ・ヴィトンの作品に大きな影響を与えることとなりました。

 

家を飛び出してから約20年もの長い期間をかけてトランクの製造と荷造りの職人として地道に腕を磨いたルイは、ついにフランス王室から注文を受けるほどの一流職人に成長していました。

その後、1854年に満を期して旅行鞄専門のアトリエをオープンして、これが現在のルイ・ヴィトンの発祥となります。

 

そして、ルイが旅行鞄専門のアトリエをオープンしたタイミングは移動手段も馬車から鉄道へと移行する時代だった為、ルイ・ヴィトンも新たな世間のニーズにいち早く着目していて、蓋が円形状のトランクよりも積み上げが容易な平らなトランクのアイデアを考え出しました。

 

さらに皮革素材が主流だったものを軽くて防水加工を施したグレーの無地コットンの「グリ・トリアノン・キャンバス」に変えてこれが大ヒットとなりました。

 

また、ルイ・ヴィトンの躍進はそれだけに止まらず、旅行用タンスのワードローブトランクを発明するなど、次々と新しいアイデアを盛り込んでいって、その創造性に溢れたアイデアと優れた技術力で確固たる地位を築き上げました。

 

そんなルイ・ヴィトンですが、フランス国内で絶大な人気を誇っていた時の最初の海外進出先として選ばれたのが、ジャポニスムを通して縁のあった日本です。

1978年に東京と大阪に合わせて6店舗が出店して、瞬く間にファッション界の話題を独占して大流行しました。

 

2021年に誕生から200年が経過するルイ・ヴィトンですが、日本第1号店があった千代田区紀尾井町で開催された「旅するルイ・ヴィトン」展は大盛況をもって迎えられました。

 

ルイが作りジョルジュが発展させたブランドは今や日本国内においてもなくてはならないブランドまで成長しましたが、日本人が魅力を感じるのはダミエやモノグラムの2つのラインに懐かしさにも似た伝承の記憶が呼び覚まされているからかもしれません。

 

そして、歴史が物語るように困難を乗り越えて新しいチャレンジをしているからこそ、常に流行に取り残されることなく人気を集めているのでしょう。

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