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知ってほしいあのブランドの歴史!! カルティエの歴史とは!!

世の中には名立たるブランドが数え切れないほど存在していますが、その輝かしい功績の陰には様々な歴史が隠されています。

フランスで生まれた著名ブランドの一つであるカルティエもまた例外ではなく、その歩みを知ることでより深く愛着を持つことができるでしょう。

 

カルティエの始まりは1847年、パリで革命が起こる以前の時代にまで遡ります。

宝石職人として修行を積んでいたルイ=フランソワ・カルティエが師匠から工房を受け継いだことがこのブランドの第一歩です。

 

今となっては高級時計やバッグなどでもその名を知られるカルティエですが、やはり根本を成すのはジュエリーだという他ありません。

数多くの現代女性を魅了する宝石の美しさは創業時から変わらず存在し、フランスはもちろんのことヨーロッパ中の王侯貴族の心を奪い幅広く愛されていました。

 

カルティエの歴史を語る上で避けては通れない出来事として、ガーランドスタイルの誕生が挙げられます。

当時のヨーロッパではアール・ヌーヴォー様式が流行し新しい感性で芸術を追い求めようとする動きが活発だったものの、カルティエはその流れにあえて逆らいかつてのスタイルを再解釈することに苦心しました。

その結果完成したのがガーランドスタイルであり、繊細で革新的な美は絶大な支持を受け世界へ広まっていくことになります。

 

その後もカルティエは研究を続け、インドからの影響などを受けながら他にはないジュエリーの輝きを確立することに成功しました。

ポイントとなるのはカルティエの歴史には一片の曇りもない点です。

 

世代交代によって価値を損なってしまうブランドも少なくないですが、1874年頃に創業者の息子が経営するようになった後もカルティエのポジションは失われず常に第一線で活躍しているのは言うまでもありません。

その評価は各地の王室から御用達ブランドとして重宝された点からも窺うことができるだけでなく、抜きん出た存在感から宝石商の王とも呼ばれることがあります。

 

ジュエリー業界にて圧倒的な実力を発揮するカルティエですが、腕時計をも手がけるようになったのは経営が3代目に引き継がれた頃の話です。

実用的でありながら洗練された美しさも取り入れたデザインは瞬く間に人気となり、腕時計の歴史に大きな影響を与えたと考えられています。

宝石を作ることで培われた技術力と矜持が100年以上続く腕時計へのこだわりに繋がったと言えるでしょう。

 

現在でも多くの新作を発表し人々の心を鷲掴みにするカルティエが今後もどのような進歩を遂げるのか世界中の期待が集まります。

知ってほしいあのブランドの歴史!! ルイ・ヴィトンの歴史とは!!

ルイ・ヴィトンは1821年と今から200年以上前に創業した人気のブランドですが、フランスのジュラ地方アンシェイ村で12人兄弟の真ん中として生まれたのが創業者のルイです。

 

ルイは14歳から職人としての道を歩み始めていて、その理由が親との折り合いが悪くて家を飛び出したことがきっかけでした。家を飛び出したルイは都パリに向かうのですが、その道中に旅行鞄における様々なアイデアが思い浮かびました。

そのルイの感性は後々のルイ・ヴィトンの作品に大きな影響を与えることとなりました。

 

家を飛び出してから約20年もの長い期間をかけてトランクの製造と荷造りの職人として地道に腕を磨いたルイは、ついにフランス王室から注文を受けるほどの一流職人に成長していました。

その後、1854年に満を期して旅行鞄専門のアトリエをオープンして、これが現在のルイ・ヴィトンの発祥となります。

 

そして、ルイが旅行鞄専門のアトリエをオープンしたタイミングは移動手段も馬車から鉄道へと移行する時代だった為、ルイ・ヴィトンも新たな世間のニーズにいち早く着目していて、蓋が円形状のトランクよりも積み上げが容易な平らなトランクのアイデアを考え出しました。

 

さらに皮革素材が主流だったものを軽くて防水加工を施したグレーの無地コットンの「グリ・トリアノン・キャンバス」に変えてこれが大ヒットとなりました。

 

また、ルイ・ヴィトンの躍進はそれだけに止まらず、旅行用タンスのワードローブトランクを発明するなど、次々と新しいアイデアを盛り込んでいって、その創造性に溢れたアイデアと優れた技術力で確固たる地位を築き上げました。

 

そんなルイ・ヴィトンですが、フランス国内で絶大な人気を誇っていた時の最初の海外進出先として選ばれたのが、ジャポニスムを通して縁のあった日本です。

1978年に東京と大阪に合わせて6店舗が出店して、瞬く間にファッション界の話題を独占して大流行しました。

 

2021年に誕生から200年が経過するルイ・ヴィトンですが、日本第1号店があった千代田区紀尾井町で開催された「旅するルイ・ヴィトン」展は大盛況をもって迎えられました。

 

ルイが作りジョルジュが発展させたブランドは今や日本国内においてもなくてはならないブランドまで成長しましたが、日本人が魅力を感じるのはダミエやモノグラムの2つのラインに懐かしさにも似た伝承の記憶が呼び覚まされているからかもしれません。

 

そして、歴史が物語るように困難を乗り越えて新しいチャレンジをしているからこそ、常に流行に取り残されることなく人気を集めているのでしょう。

知ってほしいあのブランドの歴史!! GUCCIの歴史とは!!

ブランドの元祖と言われているGUCCI。

品質を保証するために世界で初めて商品にイニシャルを入れて販売を始めたことからこのように呼ばれるようになりました。

 

GUCCIの創業者は1881年生まれのグッチォ・グッチで、イギリスのロンドンの高級ホテル勤務時代に英国貴族達と接することにより培ったセンスを活かし、第一次世界大戦終了後の1921年に、イタリアのフィレンツェで創業を開始しました。

 

当初は小規模な旅行用カバンと馬具の製造販売と修理を行っていましたが、カバンを修理している中で、壊れやすい箇所をどのように作れば丈夫で長持ちするカバンを作ることができるかを考え、イギリスで培った感性とアイデアを反映させたオリジナルの本革製品の開発を始めるようになりました。

 

乗馬の優雅さをモチーフとしたカバンや靴、ベルトなどの洗練された商品は品質も高かったことから評判を呼び、一気にブランドとしての地位を確立し事業は順調に拡大されていきました。

しかし、第二次世界大戦が勃発したことにより、牛革は統制品となり使用が困難になってしまったことから一気に苦境に立たされることとなります。

 

素材の調達に苦しんだ末に牛革に代わるものとしてキャンバス地やリネン素材、そして日本から輸入して作った竹を持ち手に使用してカバンを作りましたが、代替素材とは思えない高級感溢れた仕上がりと配色で再びGUCCIの人気に火が付き、一挙に事業も好転し始めます。

 

1940年代後半ロンドンとパリ、1950年代にはロサンゼルスやニューヨークに店舗を展開していきます。

現在でもGUCCIのトレードマークとなっている「シェリーライン」シリーズはこの時代に誕生し、1960年代にはアメリカでビットモカシンが大流行となりGUCCIのブランドネームは揺るぎないものとなりました。

 

GUCCIの製品はカバンを始めとして財布やネクタイ、サングラス、時計など幅広い分野に豊富なアイテムが揃っています。

カバンの特徴は実用的で使いやすいトートバック、斜め掛けのできるロングストラップやワンショルダーで丸いデザインのショルダーバッグ、バンブーデザインが印象的なハンドバッグなど、高級ブランド品でありながらコストパフォーマンスに優れている点で、デザインもゴージャズな雰囲気を持つものからシックでシンプルなものまであり、使用する場面に応じて使い分けられることが大きな魅力です。

 

今や世界的に知名度が高い普及率トップクラスの大手ブランドですが、今後もファッション分野の第一線で世界をリードするブランドと言えるでしょう。

知ってほしい傘の歴史!! 和傘の歴史とは!!

和傘の歴史は古く、平安時代前後に仏教やお茶、漢字など同じく中国より伝来されたと言われています。

平安時代の絵巻物に和傘が登場しますが、現在のような形状ではありません。

蓋や笠のようで天蓋や覆い状のような形でした。

雨具ではなく貴人に差しかけ日除けや魔除けなどとして使用されていたり、権威の象徴としても利用されます。

 

鎌倉時代の絵巻物にも貴族が大きなカサを使用している絵があります。

この時代まだカサは開いたままで今のように閉じることができません。

 

和傘が閉じることができるようになるのは安土桃山時代になります。

広く一般に使用されるのは江戸時代中期頃で、雨傘は江戸時代からスタートしました。

 

以前は庶民の雨具と言うと菅笠(すげがさ)や簑(みの)です。

江戸の浮世絵師も雨傘を描いていて、激しく降る夕立の中カサに身をすぼめて急ぐ人の姿が描かれています。

美人画にもカサを持っている人の姿が多くあり、当時から既に生活必需品として普及されていたことが分かるでしょう。

 

映画やテレビ時代劇には浪人が傘張りの仕事をしているシーンがよく見られますが、江戸時代中期頃藩の財政が苦しくなると、実際下級武士の中にはカサの内職をし藩政を助けていたという資料があります。

和傘は長い歴史の中でさまざまな改良を繰り返しながら伝統的な文化や芸能などと結びつき、日本を代表する工芸品と進化しました。

 

和傘のことを唐傘と呼ぶこともありいくつか説があります。中国・唐のカサという言われもありますが、現在有力視されている説は開きっぱなしだったカサがカラクリのように自由に開閉できることに驚いて、まるでカラクリ傘のようから「からかさ」と呼ぶようになったという話があります。

 

現在カサが開閉できるのは当たり前ですが、実はシンプル且つ高度な構造で和傘ほど複雑に変わる機構を持っているアイテムはあまりありません。

和傘は日常品としてはもちろんアクセントになるファッションの重要な小道具で、美しさも兼ね備えていてさまざまなデザインなどを凝らしています。

 

江戸時代の美人画にはいろいろ着飾った人がおしゃれな和傘を持っている様子が見られます。

和傘は日本舞踊や歌舞伎・茶道などにも取り入れられていて、伝統美を付け加えて独自の進化を遂げました。

他の国にはあまりない非常に豊かで繊細な芸術として日本固有の文化とも言える土壌を作っています。

 

着物を着た時にさりげなく手にしたり、さまざまなシーンに溶け込むことができ粋な雰囲気を演出することが可能です。

インテリアとして利用している人もいて、幅広い用途が期待されます。

知ってほしい傘の歴史!! 洋傘の歴史とは!!

傘は大きく分けて二つの種類があります。

日本を含む東アジア地域で昔から使われているものを和傘というのに対し、ヨーロッパなどで使用されてきたものを洋傘と一般的に呼んでいます。

 

洋傘の歴史は非常に古く、その歴史は人類の文化が誕生した頃から、存在していました。

古代オリエント文明の残した壁画には、壁画に描かれている人物が傘を持っている絵が描かれているものもあり、これは傘が4000年以上前から存在したという証拠になっています。

 

こうした壁画に描かれている人物の多くは、国王などの当時の権力者でした。

権力者の隣で傘をさしている従者の姿は、この当時傘が権威の象徴を表す道具の一つであることを物語っています。

 

実際に古代の洋傘は一般庶民が雨を濡れることを避けるために使用されたものだけではなく、貴族などが日焼けを防ぐためのものとして使用されてきました。

こうした洋傘の使われ方はヨーロッパからインドにかけて、ユーラシア大陸の広い地域で普及していました。

 

洋傘がより多くの人に使用されるようになったのは、古代ギリシア時代からです。

国王などの特別な身分の人間だけではなく、比較的裕福な家庭の女性なども、外出をする際に、従者に命じて日よけのために傘を持ち歩かせました。

 

こうした当時の風習は、当時の画家が描いた絵などにも残されています。

こうした傘に対する考え方はその後もヨーロッパ社会では、根強く定着していきます。

 

傘とは富裕な人間だけが持つことのできるものであり、権威の象徴であるという考えがヨーロッパ社会には現在でも残っています。

こうした考え方は、傘を便利な道具としか考えていない東洋人とは大きな隔たりがあります。

 

現在のような洋傘が発明されたのは13世紀ごろのことです。使用するときだけ開くことができ、保管するときは閉じることができる機能が初めて発明されたのは、イタリアだと言われています。

その後、こうした機能を持つ洋傘はイベリア半島の国にも伝わっていきました。

 

その後、この開閉式の洋傘はヨーロッパ北部にも伝わり、フランスでは洋傘は日差しを防ぐためだけのものではなく、高い建物から落ちてくるゴミなどを防ぐためにも使用されるようになりました。

 

現在のような雨に濡れることを防ぐ目的で使用される雨傘は18世紀の後半から普及しました。

現在の傘とほぼ同じような構造の傘が使用されるようになったのは当時のイギリスで、この頃から洋傘は、雨の日にも使用できるものとして定着していきます。

 

ですが、傘は日よけのためのものとして考えられてきたため、雨の日に傘を持ち歩くことは恥ずかしいことだという考えも、当時は残っていました。

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