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マリリンモンローを魅了したシャネルの5番とシャネルの歴史について

ココ・シャネルといえば、可愛いバッグや財布をよく見かけますが、実は香水もとても有名です。

シャネルの5番という香水は、発売から100年が経っていますが未だに世界一の売り上げを誇っています。

香水にはシャネルの魅力がたくさん詰まっています。

 

今回は、シャネルの香水の人気の理由と、シャネルがどのように世界中のセレブに愛されるようになったのかを探っていきましょう。

 

【シャネルの5番】
シャネルの5番という香水は言わずと知れた、女性の香水です。

1921年以来女性の心を掴んで、100年以上離しません。シャネルの創業者、ココ・シャネルの、「女性そのものを感じさせる、女性のための香水」を作りたいという気持ちから生まれました。

 

シャネルの5番が人気になった理由は、アメリカの大スター、マリリンモンローがあることを言ったことがきっかけでした。

 

「寝るときに身にまとうのは、シャネルの5番を数滴よ」彼女のこの言葉で、瞬く間にシャネルの5番が有名になりました。
また、5番という名前は試作品の番号から付けられました。

 

【ココ・シャネル】
そんなシャネルの5番を作ったガブリエル・シャネルという人はどんな人だったのでしょうか。

シャネルはフランスで生まれ、修道院で育ち、18歳で修道院を出た後お針子をしながらキャバレーで歌を歌っていました。そして、帽子を作り始め、帽子のアトリエを開業します。そうして、1年後には帽子の専門店を開業しました。

 

そして、すぐに人気となり、2号店を開店し、その後コレクションを発表して、人気が増していきます。人気が上がっていく中で、シャネルの5番が発表されます。

 

その後、「シャネルスーツ」と言われる女性のファッションを変える常識にとらわれないシャネルのアイテムが続々と世に出されていきました。

 

シャネルの革新性は、窮屈な服装をしていた女性たちに瞬く間に広まり、人気を博しました。革新性を求める姿勢で、現在でもシャネルはたくさんの人に愛されています。

 

【まとめ】
ココ・シャネルは様々常識を打ち破りました。

そんな「常識はずれ」な女性の意志の強さは、カリスマ的で、世の女性の憧れとなっていきました。

シャネルの製品のデザイン性とシャネル自身の意思の表れがシャネルの人気の理由だと言えます。

マリリンをはじめ、多くの人を魅了するシャネルです。現代において強く生きたい女性の方は、ぜひ、シャネルの品物を身に付けて、女性らしい品格と自信を身に付けてはいかがでしょうか。

プラダの歴史と全ての女性を魅了するブランド力とは?

みなさん、プラダのイメージはどのようなものでしょうか。
映画、「プラダを着た悪魔」でも有名ですよね。

 

大人の女性のハイブランドとしてのイメージと、可愛いデザインを取り扱うイメージもあるプラダですが、今回は、そんなプラダを良く知っていただくために、プラダの歴史と人気の秘密を紹介していきます。

 

【歴史】
プラダは、1913年マリオ・プラダという、現在のデザイナーのミウッチャ・プラダの祖父と、その弟のマルティーノ・プラダが始めました。彼は最初、イタリアミラノに高級な旅行用品を販売する、皮革製品の専門店を開きました。

 

世界を旅し、各地の珍しい革を製品にしたり、クリスタルや貝殻性をアクセサリーにしたりして、販売していたことから、ミラノの上流階級の間で人気となり、イタリア王室御用達という地位を築きました。

 

しかし、マリオ・プラダが他界し、戦争という時代の流れもあり、高級ブランドの人気が低迷していきました。そして、事業を継いだルイーザ・プラダは、時代の流れが激変する世界には太刀打ちできませんでした。

 

そうした中、マリオ・プラダの孫娘のミウッチャ・プラダは、プラダでアクセサリーのデザインを始めました。彼女のデザインは斬新で、現代的で革新的な素材やデザインが世界における「プラダ」の人気を取り戻したのです。

 

「プラダ」のバトンがミウッチャ・プラダに渡り、現代において、伝統と革新を兼ね備えたラグジュアリーブランドに成長させたのです。

 

【プラダと姉妹ブランド】
・プラダのバッグと靴
プラダは元々皮革のバッグをメインに取り扱っていましたが、革の靴も販売しています。

バッグの素材に使われる革は靴にも使えるからです。バッグだけでなく独自のデザイン性を活かしたプラダの靴も人気となったのです。

 

・ミュウミュウ
ミュウミュウというブランドをご存知だと思いますが、実はプラダの姉妹ブランドなのです。若い女性に大人気のミュウミュウは、ミウッチャ・プラダの幼少期のニックネームから、付けられたようです。

 

「プラダ」に勝るとも劣らない人気ブランドです。

プラダは洗練されたデザインと機能性があり、世界中のセレブが御用達のブランドです。伝統と革新を合わせもつプラダを象徴するロゴマークは、とても品格があるように見えます。

 

プラダのバッグは、現代の働く女性にとても良く似合う、誇りあるものです。

ご自身に合ったプラダのものを身に付けてみてはいかがでしょうか。

ケイトスペードの歴史と女子からの人気のワケとは?

皆さんケイトスペードといえば、可愛い財布やバッグが人気ですよね。フェミニンな色合いだけでなく、キュートな柄もケイトスペードの魅力の一つです。バッグや財布だけでなく、雑貨や靴などの可愛い商品もあります。

可愛いもの好きな女の子ならだれでも知っている、ケイトスペード。
今回はそんな大人気のブランドケイトスペードについてご紹介します。

 

【kate spadeの始まり】
ケイトスペードは、キャサリン(ケイト)・ノエル・ブロスナンという一人の女性から始まりました。彼女は大学でジャーナリズムを勉強し、その後卒業して、ニューヨークの雑誌「マドモアゼル」のアクセサリー担当の編集者となって、ファッション業界の中に身を置いていました。

 

当時から、バッグがとても好きでしたが、自分好みのスタイリッシュで洗練されたバッグがないことに不満を抱いていました。その時の恋人、後に夫となるアンディ・スペードという人物はケイトスペードに、あるアドバイスをします。

 

それは、「ハンドバックの会社をつくったらいいじゃないか」というものでした。
彼もニューヨークの紳士服売り場で働いており、ファッションには精通していました。

 

そして、「マドモアゼル」を退社したケイトは、約二年、ブランドを設立するために必要な、バッグのスタイル、素材などの知識をリサーチし、準備を始めました。

そうして彼をビジネスパートナーとし、「kate spade」を設立したのです。

 

【人気のワケ】

ケイトはファッション誌の編集者として働いた経験から、女性が本当に欲しいものを理解していました。ニューヨークという街で生きる女性が「オシャレで通勤にもデートにも使えるもの」を発売しました。

 

オシャレで実用的なケイトスペードのバッグは、オシャレな女性たちの間で、瞬く間に大人気となりました。また、リーズナブルな価格も女性たちに人気となった理由です。ケイトスペードの人気の理由は三つあります。

 

それは、可愛いデザインと、使いやすい機能性、リーズナブルな価格にあるといえます。そんな三つが揃った素敵なもの、どんな女性も心が動かされるはずです。

 

【まとめ】
ケイトスペードはニューヨークのファッション誌で働いていた女性が始めたもので、可愛いデザインと、使いやすい機能性、それなのにリーズナブルな価格で販売されていることで女性に人気となっています。

 

彼氏とのデートにも、友人とのお出かけにも、お仕事にもつかえるデザインですよ。

財布は、デザインはもちろん機能性にも優れているので、リピーターが多いようです。
ぜひ、チェックしてみてくださいね。

意外と知らない日傘の歴史!古代ペルシャ・西洋・日本でも

日傘と聞くと、どのようなものを思い浮かべるでしょうか。

現代日本で一般的なのは、主に日焼けを気にされる女性が持つ日傘ですよね。
白色のことが多く、レースなどの装飾もあり、洗練されたデザインのものが多くあります。

 

実は、古代ペルシャまでさかのぼる日傘の起源においても、その使用と性別に関係があったことはご存知でしょうか。

今回は、そんな奥深い日傘の歴史についてご紹介します。


■古代ペルシャでの『日傘』は女性らしさ

古代ペルシャやエジプトにおいて、日傘はヤシの葉によって作られました。
今と異なり屋根が多いわけではなく、日光の日差しが厳しい地において、日傘は必須のものだったのです。

このとき、日傘を手に持つのは奴隷の役目で、日傘の利用者たちは奴隷の持つ日傘の下、悠々と過ごしていました。

 

この時代にも『男らしさ』という概念はあり、男性は日傘を用いることを嫌います。
この文化はジェンダーの文化とともに受け継がれ、現代でも男性よりも女性が日傘を用いることが多くなっているのです。

 

古代ローマにおいても、女性たちは革を用いた日傘で日の光を避けていました。
遠い昔でも、今と同じような用途で日傘を利用していたことは、非常に興味深いですね。


■17世紀西洋での『日傘』

一方、西ヨーロッパではローマ帝国崩壊以降は日傘の文化は薄れます。

 

現代の西ヨーロッパにも言えることですが、当時の西欧人は傘を持ちたがりませんでした。
嵐でさえ、外套と呼ばれるコートによって雨風を防いでいたのです。
日照時間がそれほど長いことも関係して、日傘の文化も発展しませんでした。

 

日傘の文化が発展したのは、中国からもたらされた17世紀。
大航海時代を経てえられたアフリカでの、ヤシの葉による日傘の利用などの見聞も広がり、西欧人が日傘を用い始めます。
このころは男女の差はなく、熱い日を避けるためのものとして用いられたようです。

 

当時の貴族は華美な装飾を身につけなければなりませんでしたので、暑い日差しには耐えられなかったのでしょう。
自分で用いるためのもの、従者に持ってもらうものなどの方法で、多くの日傘が利用されました。

 

日傘は新しい文化として捉えられていたため、機能的でモダンな自分をアピールするためにも、用いられていたのかもしれません。


■現代日本における『日傘』

日本では雨傘の使用は古くからありましたが、現代の一般的な傘ではなく、『和傘』でした。

現代では西欧からもたらされた洋傘が一般的ですね。
日本は日差しも強く夏の暑さが厳しいため、現代においても日傘を多く利用している国だといえます。


実は長い日傘の歴史に、驚いた方も多いのではないでしょうか。
歴史を知り、自分の持つ日傘に愛着を持って使うのも、ひとつの楽しみかもしれません。

エルメスの歴史は馬具から?高級感と愛される理由

『エルメス』と聞いて、心躍る女性は世の中に多いですよね。

素材のクオリティやデザイン性の高さから、根強い人気を持つハイブランドのエルメス。
ショーウィンドウのエルメスのバッグに、視線が釘付けになった経験がある方も、多いのではないでしょうか。

今回は、そんな憧れのブランド、エルメスの歴史について、ご紹介します。


■始まりはパリの高級馬具工房から

エルメスは1837年、ティエリー・エルメスによってパリで創業しました。
現代のイメージとは異なり、高級馬具という商品を扱っていたエルメスですが、そのころから高い技術力を誇り、あのナポレオン3世やロシア皇帝を顧客にするブランドだったのです。

 

1892年、馬具を収納するためのバッグを作成したのが、エルメスとバッグの歴史の始まり。
馬具制作の丁寧な皮革加工技術などが活かされた、機能的で美しいバッグは、今のバーキンのモデルとなったバッグです。

 

二十世紀に入ると、移動手段は馬車から自動車へと移り変わります。
創業者ティエリーの孫であるエミール=モーリス・エルメスはいち早くこの時代の流れを予測し、馬具メインの販売から、バッグ・財布・衣料などに事業を展開いていったのです。


■時代の最先端をいくエルメスのバッグ

実はファスナーのあるバッグが、エルメス発祥なのはご存知でしょうか。

その後、1920年にエルメスはファスナーの特許を申請。
世界で初めて、ファスナーのついたバッグを開発しました。

 

その後も、現在まで人気のバーキンやケリーといったバッグを生み出すエルメスは、まさに時代の最先端のバッグを作り続けていると言えるでしょう。

 

一見シンプルですが使いやすいデザインと上質な素材は、男女を問わず洗練さを感じる美しいバッグを形作っています。

 

また、馬具に用いていた最高級の素材、発色の良さを楽しめるカラーバリエーションの展開で、エルメスはバッグ業界をリードしていったのです。


■バーキンとケリーの歴史

エルメスのバッグのいくつかには、発注者や最初の所有者の名前が製品名として用いられています。
バーキンとケリーも、元々は人名が由来だということは、あまり知られていませんね。

 

バーキンは、イギリス人の女性歌手ジェーン・バーキンから取られています。
籠バッグに無造作に持ち物を放り込むバーキンに、偶然出会ったエルメスの5代目社長が、『物を整理せずに入れられるバッグ』としてプレゼントしたものが始まりです。

 

ケリーは、1955年のモナコ公妃グレース・ケリーから。
パパラッチを避ける際に彼女が妊娠中の腹部をバッグで隠したところ、このバッグに注目が集まりました。

 

もちろんこのバッグというのは、エルメスのバッグ。
これを機にモナコ公国に許可を取ったエルメスは、このバッグの名称をケリーバッグと変更したのです。


王室や著名人から長年愛されるエルメスの高級感と機能性は、今日も色あせることはありません。
歴史を知ってエルメスのバッグを改めてみると、さらなる魅力が見つかるかもしれませんね。

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