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カサの歴史ー和傘編ー

 日常的に使うモノの歴史やルーツを考えたことはありますか?
身近なモノを1つとっても、その歴史やルーツというのは深いものがあったりします。

ここでは、傘の歴史、特に和傘についてご紹介します。

 

・魔除けと権威づけのカサ
 東洋では、傘は魔除けのため、貴人に差し掛ける天蓋として古代中国で発明されました。

平安時代前後に仏教、お茶、漢字などと同時に中国より伝来したと言われています。

平安時代の絵巻物に登場する和傘は、折り畳めるものではなく、天蓋や大以上のようなものであり、日よけ、魔除け、権威の象徴として使われるようになりました。

 

その後、平安時代に製紙技術が進歩し、竹細工の技術を用いて改良され、室町時代には和紙に油を塗布することによって防水性を持たせ、また開閉もできる雨傘として利用されるようになりました。

 

・雨傘としての普及
 これが一般の人にも多く使われるようになったのは、江戸時代の事です。

それ以前は、庶民は蓑や菅笠などを雨具として使っていました。

 

しかし、傘張り職人が登場し江戸時代に分業制が発達すると、傘の普及も次第に普及していきました。

初めは社会的ステータスの高い、僧侶や医者たちに使われるようになりました。

 

また、和傘の広げた時の面積の大きさから、雨天時に屋号をデザインした傘を客に貸与して、店の名前の宣伝に使われ、歌舞伎の小道具にも使われるようになりました。
さらに言えば、傘作りというのは、江戸時代の失業した武士たちにとって、内職として確率されていました。

当時の浮世絵には、夕立に傘をすぼめて急ぐ町人の姿が描かれており、また美人画にも傘を差した町人がよく映っていることから、その時には既に傘が普及していたのだと言えるでしょう。

 

・和傘の減少
 和傘が洋傘にとって代わられるようになったのは、明治期以降の事です。

初めての洋傘は、1804年に長崎の出島に輸入されました。

和傘はその特徴として、防水性には優れているが一般的に洋傘よりも重く、耐久性が弱いと言われています。

 

その原因は、洋傘の傘の骨が数本程度であるのに対し、和傘には数十本の骨が用いられるためです。

また、自然素材を多用した結果重くなりやすく、虫食いや湿気による影響を受けるという特徴があります。

その為、明治期以降は、洋傘が日本全体に広まり、今でも多く使われるに至っています。

 

 東洋において、傘は古代中国で魔除けや権威の象徴として発明されました。

そして、日本に輸入された後は製紙技術の向上に伴い、雨傘として利用されるようになりました。

江戸時代からは庶民にも普及し、それが明治期の洋傘の輸入によって、和傘は日常から徐々に姿を消していきました。

 

 日用品の歴史やルーツを考えることは、多くはないかもしれませんが、改めて見てみると奥が深いこともあります。

少しだけ興味を持って、愛着のあるモノのルーツを見てみると、また見方が少しずつ変わってくるかもしれませんね。

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