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クリスチャン・ディオールとイヴ・サンローラン

イヴ・サンローランは、17歳の時にパリオートクチュール組合経営のファッションデザイン学校に入学しました。
3ヶ月のコースが終了する頃、IWS(国際羊毛事務局)主催のデザインコンクールにおいて、カクテルドレスを発表し、ドレス部門最優秀賞を受賞しました。

 

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この時の審査員であったVOGUEのディレクター、ミッシェル・デブリュノフが、友人のクリスチャン・ディオールと同じA-ラインの線を描く無名の少年に驚き、すぐにディオールに紹介します。
クリスチャン・ディオールは少年の才能に目を付け、スカウトし、1955年に雇用します。

 

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1957年にはディオールのファッションショーでサンローランのスケッチが35点も採用されサンローランのキャリアに弾みをつけることになりました。
この時ディオールが、サンローランのデザインを基にしたこれらの新作を発表したい、次のコレクションに彼を連れ出したい、という意志を示したところ、まだ彼が若いことを理由に周囲からは反対を受けます。

 

しかし、ディオールの逝去により、それは現実のものとなりました。
ディオールの遺志でわずか21歳で後継デザイナーに就任したのです。
ディオールブランドを財政的な破滅から救うために、主任デザイナーとなったサンローランは、精力的に仕事を始めました。

 

1958年のディオールにおける最初のコレクションにトラペーズライン(ブランコ線)と呼ばれるデザインを発表しました。
このコレクションは、ニーマン・マーカス賞を受賞し好評を博します。

 

秋のパリ・コレクションにはこのラインを採り入れたデザインの服を発表し、新聞は「イヴ・サンローランはフランスを救った。
偉大なるディオールの伝統は続きます。」と書き立てたほどでした。

 

このコレクションにサンローランは、ディオールの為に6つのデザインを発表していますが、この頃には顧客は既に彼のデザインに魅了されていました。
しかし、1960年、アルジェリア戦争に徴兵されたことをきっかけに、ディオールから解雇されます。

 

その後、1961年に自身のオートクチュールメゾンを設立してデザイナー活動を再開しました。
サンローラン本人は、2002年1月22日に行われた、パリ・オートクチュール・コレクションを最後に引退し、オートクチュール部門は閉鎖することとなりましたが、2007年に、サンローランはその長年の功績から、レジオン・ドヌール勲章グラントフィシエを授与されています。

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