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ポールスミスの歴史 後編

お待たせしました!
今回も前回に引き続きポールスミスの歴史の後半部分のお話です!ポールスミスの歴史をお話しするには魅力的な部分が多すぎて、ポールスミスの凄さをお伝えするにはどうしても割愛してしまうともったいないのです。なので、ブランドの確立から現在に至るまで、ポールスミスの成長と成功を掘り下げていきたいと思います。

 

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前回では、ブラウン社のコーディネーター兼デザイナーとしての立場が、自社であるポール・スミス リミテッドに大きく影響した所までお話ししました。これにより、人気に拍車がかかり、店を移転するに至りました。そして、この機会にオリジナルブランドとして確立を決心したようです。

 

そこでロゴを決定し、まず初めにポールスミスのロゴ入りシャツをシャツ工場に依頼し、自ら営業して回りました。交渉力に関しては、探求心をもって様々な依頼に対応してきたポール自身の能力が大きく生かされたのかもしれませんね。ここで一番初めに得た顧客がニューヨークのバーニーズという有名ショップのオーナーの息子で、契約数は200枚でした。ホテルまで押しかけてシャツの一枚一枚のプレゼンテーションを行うポールの熱心さに感心されたそうです。

 


1976年にはコレクションショーを初めて行いました。これも、資金に余裕がなかったこともあり、アパートの一室を借りたり友人をモデルにしたり、アットホームなショーだったそうですが、大成功を収めました。ポールスミスの親しみやすい根の部分に繋がっているのではないのでしょうか?

 


翌年から展示会を開けるようになり、催すようになったのですが、初めはほとんど人が来ることはなかったそうです。しかし、回を経るたびに人は増えていきましたが、ポール一人で運営するにはとても大変だったようです。なぜなら、この頃にはI・W・S(国際羊毛事務局)のデザインコンサルト等いくつかの役職を同時にこなしていたためです。

 


33歳になった頃、ロンドンに進出する機会が回ってきました。この時、ポールが購入しようとした場所は3万5千ポンドとポールには出せない金額でした。銀行や以前働いていた職場に掛け合って1万5千ポンドを集めましたが足りず、熱心に交渉を続けた結果、オーナーが売値を2万5千ポンドに引きさげ、不足分を後で返してもらうという形で譲歩させました。これもポールスミスに対する期待があったからです。

 


そして、ロンドンショップを機に世界進出までに至り、世界のファッション業界でポールスミスは一流のブランドとして名を轟かせるようになりました。現在においてポールスミスの顧客は世界のリーダーレベルの方たちですので、この実績はポールスミスの確固たる地位を築き、イギリスのエリザべス女王よりナイト爵位が与えられたほどです!

 


いかがでしたか?ポールスミスの歴史や功績はまだまだ上げきれないほどたくさんあります。是非気になった方は調べて頂けるとより面白いことが知れるかもしれません。もちりん、有名だからこそ知っておられる方もいるかもしれません。この記事を読まれてポールスミスにより関心を持っていただけると嬉しいです。

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